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『ウエルネスサポート』2006年12月号

12月号もくじ




市村88ヶ所霊場の「おでゃあしさん」

 先日、私がこのニュースレターを、蔵王2区のNPO法人デイサービスホーム「蔵王の家」に配りに行ったとき、代表の角川さんから、蔵王に88ヶ所霊場めぐりというのがあるのを教えてもらった。面白そうなので、さっそく蔵王公民館で、地図をもらって探索してみた。
 もらった地図には「寛政九年正月 1797年」と書かれてある。およそ200年前に、この霊場めぐりは誕生したということなのだろうか?確かに、お堂の石は、200歳くらいの古さを感じさせるものもある。本体のおでゃあしさん(お大師さん)の上には、全て番号が記され、その左右どちらかにはお寺の名前が彫り込まれている。「泰山寺」「焼山寺」など、全てではないが、四国88ヶ所霊場めぐりと同じ寺の名前が彫り込まれている。
 幾つかの囲いのお堂には、「明治」、「大正」と彫り込まれ(写真1)、地図に記された年号とは異なっている。つまり、囲いのお堂は、のちの人が建てたということなのだろうか?中には、明らかに、近年建てられたと見られるものもある(写真2)。

【写真1】43番札所 【写真2】52番札所
【写真1】43番札所 【写真2】52番札所

霊場めぐりから感じるもの

 霊場めぐりから、感じるものは数多くある。まず、到着した時に、お供えのが出迎えてくれる(写真3)。これは非常に嬉しい。お大師さんは、いつでもそこにおられるが、花はいつでもそこにおられるという訳ではないはずだ。しかし、大抵の場合、お供えの花に出会える。お大師さんにも合掌だが、お花と、お花を供えて下さっている方にも合掌である。到着したとき、何とも嬉しいご褒美だ。
 また、知らないお大師さんを訪ねるとき、発見した瞬間が楽しい。幼少に戻った感じがある。感覚的には宝探しをしているようだ(写真4)。見つけるのに苦労したお大師さんもあるが、特に、17、24、34、58、77、82、85番は中々見つからなかった。「まさか、こんな所に!」というのもある。
 さらに、全ての写真を見て分かるように、お堂は一つ一つが、個性的な形をしている。その時代時代の人たちが、その時代に建てたという証を、後世に残そうとしているように見える。

【写真3−1】48番札所 【写真3−2】78番札所
【写真3−1】48番札所 【写真3−2】78番札所
【写真3−3】47番札所
【写真3−3】47番札所
【写真4】75番札所 【写真5】55番札所
【写真4】75番札所 【写真5】55番札所

31番をラストに迎えて

【写真6】2006年現在
【写真6】2006年現在:春日町のフィットネスクラブ・ルネサンス(旧ノア)の丘の登り小口から
(正確には、88ヶ所霊場32番の丘から。32番は31番と隣接している)。
 私は休日にランダムに、霊場を廻っていたが、11月24日(金)、ついに88ヶ所を制覇する日になった。いつも通り、適当な道を選び、歩いていた。「さあ、ラストの31番に着いたぞ!」カメラのシャッターを押した。感無量の私が、帰宅しようと歩を進めた瞬間、驚きの光景が目に飛び込んだ(写真6)。「この光景は見たことがある!」私はある1枚の写真を、ポケットから出し、実際の風景と照らし合わせた(写真7)。
完全に一致した!

おでゃあしさんのお導き?
―50年前の市村を懐かしむ―

【写真7】1995年当時:約50年前に写真6の位置から撮影したもの
【写真7】1995年当時:
約50年前に写真6の位置から撮影したもの
 この照らし合わせた写真は、先日、蔵王5区の「めがねのふじい」で、藤井さんに見せてもらったものである(写真7)。奥に見えるのは紛れもなく蔵王山である。藤井さんによると、手前はあぜ道で、左下に見えるのは、川である。かつては、この東西に流れる川と、このあぜ道付近に流れる南北の川が、市村の田んぼに水を供給していた。この2つの川は互いに、この付近で交差し、交わった上の川の堰を外すと、下の川に水が注がれる仕組みになっていたらしい。
 話では、その付近から撮影したものだと言う。しかし、「おでゃあしさん」のお導きか??適当に廻った霊場めぐりのラストで、その場所に立つことができた(写真7は写真6の○で撮影したものと思われる)。残念ながら、同じ場所に立つと、蔵王山は建物に阻まれ、全く見えない。そこで、延長線上の丘に上がり、写真を撮った。2枚の写真を比べると、さらに驚かされる。半世紀以上経つと、この町も何と大きく変わったことか!!田畑はほとんど建物に変わり、電線は張り巡らされ、数台の車でさえも煩わしく感じる。50年後の2055年には、どうなっているだろうか?次の次の世代には、巨大なビルが建ち並び、今度はヘリコプターに乗らないと、蔵王山は写らないのかもしれない。
 私の場合は、50年前のこの風景を知らない。だから、懐かしもうにも懐かしめないが、この写真を見て懐かしむことができる人は、多いのではないでしょうか。

 では、あの蔵王山の頂上から、蔵王を一望したら、どう見えるのだろう?

市村を見続けた「おでゃあしさん」と「蔵王山」

 蔵王山の頂上から、蔵王を一望してみたらどうだろうか。写真8は、最近撮った写真である。蔵王だけでなく、引野、手城、曙、新涯も写っている。写真の中の○の位置で、
写真8 【写真9】1955年当時の蔵王町付近の写真
【写真8】2006年現在:蔵王、南蔵王、手城、引野、曙、新涯などが写っている。中央あたりが(蔵王)3区で、左の方が4区になる。蔵王小学校がわずかに写っていて、11区が左にある。 【写真9】1955年当時:蔵王、沼田地区以外はほとんど田んぼである。江戸時代より前は、これらの田んぼは海だった。現在の写真からはイメージできないが、この写真だと海原をイメージできないだろうか?
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 先ほどの写真6を撮った(春日の書店、啓文社コアの50mほど南)。そして、写真9が、約50年前の同じ場所から撮影した写真である(同じく藤井さんから頂きました)。蔵王2区、3区が、中央にあり、4区が右中央辺りに見える。11区は完全に林の中である。蔵王小学校はブドウ畑だ。わずかに小学校の裏池が見える。両者をよく見ると、市村の集落は現在になっても、木々は残っている。鉄筋の建物に変わった平野部と、昔のままを多く残した市村の集落。現在でも、山の上からみても、市村の集落の形がよく分かる。

 角度が変われば、見方も変わる。右の絵画のような時代から、お大師さんは大地から村人を、蔵王山は、天から村を見続けてきたのだろう。
【イラスト1】蔵王山を描いた絵画(沼田の方角から) 【イラスト1】蔵王山を描いた絵画(沼田の方角から)
中央は市村で、バス停の広尾の辺りも含まれている。このイラストは魚好人一休で、料理の下に敷く紙として用いられていたものである。興味深いので、両親が保存していた。おそらく、明治時代を想像して描かれたものだろう。
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